はこさんブログ
【温故知新】
2024-10-22
歴史の授業で日本の時代変遷については以下のように教わりました。
旧石器時代→縄文→弥生→古墳→飛鳥→奈良→平安→鎌倉→室町→安土桃山→江戸→明治・大正・昭和・平成・令和
北海道ではこれとは少し異なる独自の時代分類がされています。
旧石器時代→縄文→続縄文→擦文※→アイヌ文化→明治・大正・昭和・平成・令和
※擦文時代(さつもんじだい)は、北海道の歴史のうち、7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて、擦文文化が栄えた時期を範囲とする時代区分。
本州の土師器の影響を受けた擦文土器を特徴とする。
弥生時代から江戸時代がすっぽり抜けて明治維新まで
弥生時代から江戸時代がすっぽり抜けて明治維新まで
続縄文・擦文・アイヌ文化と言う独自の時代が続きました。
(稲作が難しく狩猟文化が続いた、古墳文化が無かった、中央の権力が及びにくかったなどが理由でしょう)
北海道に人が住み始めたのは今から2万年以上前と言われていますが、
(稲作が難しく狩猟文化が続いた、古墳文化が無かった、中央の権力が及びにくかったなどが理由でしょう)
北海道に人が住み始めたのは今から2万年以上前と言われていますが、
当時の北海道はユーラシア大陸と地続きであったことから、
マンモスなどの大型動物を追いかけて大陸から移動してきた人々が住み着いたのが
北海道人類史の始まりと言われています。
道南でも知内町で日本最古と言われる旧石器時代墓跡が発見されており、
今金町の遺跡からは1~2万年前の石器が大量に出土していますが、
函館に人が住みはじめたのはその少し後だと考えられています。
(世界文化遺産でもある函館市の大船遺跡は今から5500年~4000年前の集落跡です)
14世紀頃まで(本州から渡ってきた倭人が函館山のふもとなどに住みはじめるまで)
函館の歴史に関する文献資料はないそうですが、
地名が「函館」と呼ばれるまで少なくとも2つの地名が存在していました。
「ウスケシ」
元々、今の函館山周辺は「ウスケシ(またはウショロケシ)」と呼ばれていたそうです。
ウスケシ(漢字では宇須岸または臼岸)とはアイヌ語で「湾の端」の意味で、
元々、今の函館山周辺は「ウスケシ(またはウショロケシ)」と呼ばれていたそうです。
ウスケシ(漢字では宇須岸または臼岸)とはアイヌ語で「湾の端」の意味で、
函館湾の端にある函館山周辺が思い浮かびます。
「箱館」
15世紀には現在と読み方が同じ「箱館」と称されるようになるのですが、その経緯は以下とされています。
15世紀には現在と読み方が同じ「箱館」と称されるようになるのですが、その経緯は以下とされています。
・享徳三年(1454年)に現在の北海道に渡った津軽の豪族(安東政季)が道南に12の館を築き、現在の函館市弥生町には宇須岸館を置いた
・箱館の地名はこの宇須岸館との関りが大きいと言われてるが、いくつかの説がある
【説1】 館を建てる際に、籠と箱が土中から出て来た事に由来して、「箱が出土した館」で「箱館」とした
【説2】 アイヌの人々が、この館を「ハク・チャシ(小さな館)」と呼んだことから、その音に漢字を当てた(「ハク」→「箱」、「チャシ」→「館」)
【説3】 遠くから見るとこの館が「箱」の形に見えたため
現在では説3が有力とされているようです
「函館」
・明治維新後も政府機関の名称は「箱館府」「箱館開拓使出張所」など「箱」の文字が使われていました。
・明治維新後も政府機関の名称は「箱館府」「箱館開拓使出張所」など「箱」の文字が使われていました。
・明治4年6月に開拓使出張所が「函館出張開拓使庁」と改められ、初めて「函」の文字が正式に使われるようになりましたが、その理由は定かではありません。
(旧幕府軍の名残を消したいという新政府の思いという説が有力)
・現地では明治2年頃から既に「函館」という名称を使用しており、後に東京の中央官庁がそれに従ったという記録もあります。
(因みに「大坂」が「大阪」に変わったのも同じ明治2年)
・従って、明治2年までの施設や出来事は「箱」を使用され、五稜郭公園内に復元された奉行所は「箱館奉行所」、幕末に土方歳三らが戦ったのは「箱館戦争」。
(高校の教科書では近世までは「箱館」それ以降は「函館」と使い分けている)
・その後の行政名称としては、明治12年に函館区が、明治15年には函館県(明治19年に北海道庁が開設され再び函館区に)が、大正11年に市制施行により函館市が誕生しました(今年で市政102年)。
「故きを温ねて新しきを知る」という言葉があります。
過去を知ることは、未来を切り拓くことに役立つということです。
一方で「過去にこだわるものは、未来を失う」という言葉もあります。
先月のブログ記事で書いた過去の地震も同様、
当社も過去から学ぶべきことは学び、反省すべきことは反省し、旧来からの踏襲にこだわることなく、
未来を切り拓いていきたいと考えます。
今後も函館酸素にご期待ください。