はこさんブログ
【函館野球史】
2024-11-12
今年も野球ファンには大変盛りあがった年でした。
メジャーリーグでは言わずと知れた、大谷翔平選手が “50-50” などの大活躍、
更にはワールドシリーズでも優勝と日本中を沸かせました。
プレーオフでの大谷vsダルビッシュの北海道日本ハムファイターズ元選手同士の
熱い勝負も手に汗をにぎるものでした。
高校野球でも春の健大高崎、夏の京都国際がそれぞれ甲子園初優勝するなど
今年も多くの感動を与えてくれました。
プロ野球では北海道日本ハムファイターズが惜しくも
クライマックスシリーズ決勝ラウンドで敗れたものの久しぶりの大躍進、
私が50年近く応援している横浜ベイスターズが26年ぶり日本シリーズ大下剋上優勝で
日本ハムの敵討ち(?)を果たしてくれました。
函館は北海道のなかでも野球が盛んな都市であり、野球とのかかわりにも古い歴史があります。
1934年には函館湯の川野球場で
ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらのアメリカ選抜チームを招き日米野球大会の試合が開催されました。
全日本チームの捕手「久慈次郎」は、早稲田大野球部を経て、
全日本チームで沢村栄治とのバッテリーで活躍するなど函館野球界のレジェンドであり、
1959年には沢村栄治らと共に初の野球殿堂特別表彰者として選ばれています。
久慈は日米野球の後、日本で初めて結成されたプロ野球チームである
大日本東京野球俱楽部(現在の東京読売ジャイアンツ)から初代主将として入団を要請されましたが、
大火で壊滅的なダメージを受けた函館の地を離れることを拒みプロ野球選手になることはありませんでした。
彼が在籍し続けた函館太洋倶楽部(函館オーシャン)は
国内で現存するクラブチームのなかで最も古い歴史を誇っており、
都市対抗野球大会にも14回出場しています。
現在でも都市対抗野球の敢闘賞は「久慈賞」と称されており、
その銅像は市内の千代台公園野球場(オーシャンスタジアム)の横でキャッチャーミットを構えています。
不幸なことに試合中に相手捕手の牽制球が頭部に直撃したことが原因で亡くなりましたが、
その銅像が構えるミットの先は、
彼をプロ野球に誘い続けたヴィクトル・スタルヒンの銅像が立つ旭川スタルヒン球場の方角を向いているそうです。
高校野球では1997年に函館大有斗高校が春夏出場して以降は道南地域から甲子園出場校は途絶えていますが、
過去をさかのぼると函館有斗13回、函館工業5回、函館西・函館中部が各2回、函館商業と知内が各1回と函館周辺の高校が計24回の春夏甲子園出場を果たしています。
特に函館有斗の甲子園出場回数13回は道内では北海(52回)に次ぐ出場回数で、
あの駒大苫小牧(11回)を上回っており、
佐藤義則(阪急)・盛田幸妃(大洋)・澤田剛(ダイエー)・川下将勲(西武)と4人のプロ野球選手も輩出しています。
再び地域の高校が甲子園に出場する日がくる日を祈るばかりです。
来年もメジャーリーグ、プロ野球、高校野球など多くのチームと選手たちが
熱いプレーで我々をワクワク、ドキドキさせてくれるでしょう。
当社野球部もSリーグの強豪チームたちと熱戦を繰り広げてくれることを願っています。
今後も函館酸素と当社野球部にご期待ください。